インタビュー 子育て

tentenインタビューvol.5吉田暁子さん~転勤族でも自分らしく。転勤生活の中で出会ったNPをライフワークに~

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子育て

転勤族で各地を転々としている方、福島市に引っ越してきて不安の方、子育てに悩んでいる方いませんか?
転勤先での自分らしさ、なかなか見いだせない方が多いのではないでしょうか?
今回は、転勤族の妻でこれまで4回の引越しを経験し、現在は福島市に定住して10年。
2人のお子様を育てている先輩転勤族ママにインタビューをしてきました。
転勤先での、自分らしさや子育てのヒントがあるかも知れません!

▲福島市に在住の吉田暁子さん。福島市出身。 大学卒業後、県庁で勤務。旦那様の転勤で川俣~仙台~郡山~福島と各地を転々とする。その間、各地では自分の好きな仕事をしようと福島県立医科大学、東北電力、サントリーなどに勤務。出産を機に退社し、現在、小学校4年生、5年生年子のママの傍ら、NPファシリテーターとして、2014年から子育て支援hanasoで共同代表を務めている。

転勤族の旦那様と共に4回の引越し。出産するまでは仕事をすることで転勤先に馴染んだ。

―これまで4回の引越しをされていますが、転勤族として各地で馴染む為にどのような生活していましたか?

(吉田)子どもがいなかったときは、自分がやりたいと思う仕事を見つけて常に仕事をしていました。職場で知り合いも出きていたので寂しいと思う事はありませんでした。仙台にいた頃、旅行先で出会った有名な占い師に「あなたはデザイン関係がいい」と言われ、その後にサントリーのデザイン関係の求人を偶然見つけて、その仕事をしていたりもしましたね(笑)

―占い師の言葉を鵜呑みにして、その職に就いてしまうとは凄い行動力ですね(笑)

(吉田)子どもがいなかったときは、仕事も選べたし、好きなところにも行けたので、とにかく行動してその土地、土地で楽しんでいたと思います。

出産を機に専業主婦に。転勤先での子育てに奮闘する日々。

―出産を機に退職されたとお聞きしましたが、転勤先での育児はどのようにしていましたか?

(吉田)郡山に住んでいた時に長女を出産しました。自分が子どもを見てないと心配で、預けるという事もできず、専業主婦になりました。仙台では子育て支援センターは小学校の隣にあると聞いていたんですが、実際郡山で子育てを始めたら支援センターが離れた所に1つしかなく、その違いに驚きました。でも、生活リズムを作る為に、外に連れ出さないといけないという義務感から常に外に出かけていたと思います。疲弊して帰ってきたりする事もありました(笑)

―かなり、気を張って育児をされていたようですね。乳幼児を連れての外出は、とても大変だったと思います。しかも、遠くの支援センターまで車で行かなくてはいけないなんて・・・

(吉田)色んな所を転々としたからこそ、その土地土地の良いところも悪いところも見えた気がします。子育てに関しては、その時に住んでいる場所で、そこにある子育ての支援や施設を利用して子育てをするしかないと思って頑張っていましたね。

―その観点いうと福島市での育児はどうですか?

(吉田)福島市は、その当時から子どもの医療費が無料な事と、車があれば、子どもを連れて出かける場所に困らなかった事が良かったです。小学生になると、子どもが参加できる陸上教室やこむこむの講座など、色々なイベントがたくさんあるのもいいと思います。人気なので高倍率で落選することもありますが(笑)

―年子のお子さんで大変ではなかったのですか?

(吉田)0才と1才の時は大変でしたが、あとは一気に育っていく感じでした。女の子2人なので、おむつもおもちゃも共用できて、2人で遊ぶようにもなり楽になりました。幼稚園へ行き始めたら自分の時間もできました。今までしたくてもできなかった事、試着をして服を買うとか、本屋で立ち読みとか、カフェへ行くこともできるようになりました。

―今は転勤生活を終えて、福島市に定住されていますが、定住するきっかけは何だったのですか?

(吉田)このまま転勤生活を続けると、どうしても子供の転校があり、子どもに負担がかかるのではないかと、夫とも話しました。その結果、子どもの学校生活を見据えて、2人目を妊娠中に、自分たちの地元でもある福島市に定住することを決めました。

転勤生活の中でNPとの運命的な出会い

―吉田さんは現在、子育て中のママのためのNP(ノーバディーズパーフェクトプログラム)のファシリテーターとして活躍されていますが、いつNPと出会ったのですか?

*NPとは・・・カナダ発祥の親支援プログラム。0~5歳の子どもの親がグループの中で互いの体験や不安を話しあうことによって、子育てのスキルを高め、自信を取り戻していきます。このプログラムを企画・運営するのが「ファシリテーター」と呼ばれる人で、一人ひとりの価値観を尊重しながらプログラムを進行し、講座終了後も参加者同士が子育て仲間としてつながっていくよう支援する役割も担っています。(特定非営利活動法人 コミュニティ・カウンセリング・センターより引用)

(吉田)震災の時に住んでいた新潟市でNPを実際に自分が受けたことがきっかけで出会いました。子どもが2才と3才のころでした。新潟市では、各児童センターでNPが定期的に行われているんです。私は1人で過ごすのが平気な性格だったはずなのに、その時の私は、四六時中子どもたちといても、なぜか孤独を感じてしまい、筒の中に自分と子どもたちだけ取り残された感覚に陥るようになりました。積極的に外との繋がりを求めていた訳でもなかったのですが、NPの無料託児に惹かれ、子どもを預けて1人になりたくて申し込みました。軽い気持ちで受けたのですが、NPを受けた日にその筒がスポンと抜けて、周りと繋がり、自分の気持ちへの混乱に対しても、解決の糸口が見えた気がしました。とても気分が高揚したのを覚えています。その後、その地域で暮らしていくことへの安心感もとても増えました。

▲8年前のNPプログラムを受けた修了証。今でも大切に取ってある。

―運命的なNPとの出会いだったんですね。その後、ご自身でNPを開催されるまでになりました。そこまでいくにはどんな経緯があったのですか?

(吉田)なぜ、こんなにも素晴らしいプログラムが福島市で見つけられなかったのだろう?と思って調べたところ、当時福島市ではNPは開催されていませんでした。ならば、私がNPのファシリテーターになって、福島市で開催しようと思ったんです。それにはNPファシリテーター養成講座を受けなければならないのですが、そんな時、養成講座が福島市で初めて開催されると知り、絶好のチャンスだと思って応募したんです!なのに、落ちたんですよ(笑)

―そんなに意気込みがあったのに、なぜですか!?

(吉田)講座の受講資格が、学校関係者、児童館、保育者などで、専業主婦だった私は対象外だったんです。すごく悔しかったので、第2回目の講座の募集が始まった時には主催者に直談判しに行きました。「教員免許も有ります!その後実際にNPを開催した人はいますか?私は絶対に開催します!」って(笑)思いが通じて受講させてもらえることになりました。

―凄い情熱と、行動力ですね!やりたい事をやり抜くのは、出産前と変わらないところですね。なぜ、そんなにNPをやりたいと思えたのですか?

(吉田)新潟でNPを受講しているときは、自分や家族の事を話して、仲間が受け入れてくれる事で、自分が子育てをした人生を選んで良かったと肯定する力が付きました。自分の気持ちが救われた場所だったんです。他者からの育児の意見を聞くことも、育児のバランスを取るために必要だと感じました。そして、このプログラムは日本全国平等に受けられるべきで、福島市のママにも受けてもらいたい!と思ったからです。

福島市でNPを自主開催し、継続するための平坦ではない道のり

―NP養成講座を受けただけではファシリテーターになれないと聞きました。

(吉田)ファシリテーターになる為には、養成講座修了後、自らがNP講座を主催して認定審査を受けなくてはいけません。認定審査を受けられるチャンスは3回まで。認定がもらえない場合は、ファシリテーター にはなれず、NP講座を開く事が出来ません。

―思った以上に厳しいんですね。講座を主催する時、どんなことが大変でしたか。

(吉田)NPは6週連続で行うのですが、6週連続で借りられる会場の手配と託児室の確保、託児スタッフの確保と謝金の捻出、物品購入等の各費用、参加者の募集が大変でした。2部屋の会場を6週連続で借りたいとお願いすると、特定の団体にそのような貸し方は出来ないという理由で、どこも断られてしまいました。

―残念ながら、福島市ではNPが認知されていないからですね。今利用されている福島市の渡利児童センターはどうやって使えるようになったのですか?

(吉田)共同代表の寺崎さんの元職場だったことから、寺崎さんが交渉してくれました。地方で何かをするときは、やはり人の繋がりは大切だなぁと実感しました。
託児スタッフは、常日頃、幼稚園のママ友の中から保育士資格保持者をチェックしていました(笑)申し訳ないのですが、交通費をお支払いするくらいのボランティアという事でお願いしました。どのように託児してほしいという自分たちの思いがはっきりあったので、託児スタッフ向けの研修も自分たちで行い、思いを伝えました。物品も、お子さんが泣けばティッシュもゴミ袋も山ほど必要だし、NP講座で使うペン1本についても、「ママたちの選ぶ行為」を尊重していこうという理念があるので、沢山物を揃える必要がありました。

―今となってはすぐに定員いっぱいになってしまうNPですが、認知されていない状態では参加者を集めるのも大変だったと思います。

(吉田)6年前はSNSが今ほど普及しておらず、支援センターや保健福祉センター、育児サークルなどにとにかく足を動かしてチラシを配りました。努力が実って定員いっぱいの応募がありましたが、今思うと「NPという、誰にも知られていない、何をやるのかわからない、ママの集まり」によく定員まで集まってくれたなぁと思います。

▲記念すべきNP初開催の様子

―きっと皆さん、色々子育てに悩んだり、繋がりが欲しかったり情報取集をしていたんだと思います。団体発足後、運営状況はどうですか?

(吉田)やはり行政の力に頼ることなく、活動を維持していくのは大変です。活動を始めて分かったのですが、個人で団体を立ち上げNPを開催している人は激レアだそうで、NPをカナダから持ち帰った大御所の先生に「逆に行政の支援なしで、どうやって続けられるの?」とインタビューを受けてしまいました(笑)
他の地域では行政主体でやっていると分かっていたのですが、行政が動くまで待っていられない、今すぐ必要だ、と思ったし、根拠はなかったのですができる!という強い思いを持っていたので、自分達で始めてしまったんです。しかし、継続するのは大変です。自転車操業でも「こぐのを止めたら倒れる!」と寺崎さんと励ましあいながら何とか続けてきました(笑)NPを受講した参加者のOGが応援してくれたのも継続するモチベーションになっています。

―お二人の努力と、ご苦労があって今のhanasoが主催するNPがあるんですね!強い人だなと思ってしまったのですが、心折れそうにはならなかったんですか?

(吉田)もともとそんなに打たれ強くないので、沢山あります(笑)
一番辛かったのは、2016年に福島市が主催するウィメンズカレッジというもので市長提言を行ったことです。受講期間の4ヶ月間、市の担当者の方々と女性が活躍するにはどんな政策があったらよいか、研修を受け、話し合って提言するものでした。NPのOG全員に、NPの行政支援による定期開催を市長提言をしたいから一緒に行ってくれませんか?と声を掛け、5人のOGが参加してくれました。メンバー全員乳幼児を持つ中で、時間をやりくりしながら支援センターや公園など調査のためのアンケートに答えてもらったり、集計したり、研修に出たり、プレゼン資料を何度も作り直して市の方とやり取りしたり、寝る間も惜しんだ4ヶ月でした。

翌年にすぐに、福島市が子育て支援としてNPを委託したのですが、委託先はhanasoではなく、NP開催をした事の無いファシリテーターがいる他の団体でした。私が言い始めた市長提言なので私が失敗するのは仕方ないのですが、次のママたちの為に!と何十時間も時間を費やしてくれたOGには本当に申し訳なくて、OGも一番辛いのは吉田さんと寺崎さんだよって思ってくれていたのがとても伝わって…今思い出しても泣いてしまいます…。

*ウィメンズカレッジとは、職業生活における女性の活躍に焦点を絞り「こう変わったら、明日、仕事行きます!~働きやすい職場づくり~」と題して女性社員を対象として5回シリーズの講座を開催している。(福島市HPより引用)

▲ウィメンズカレッジでの一枚。吉田さんは右手前。

―開催がhanasoではなかったとは言え、活動の努力が福島市でNPを広めるきっかけとなったんですね!これまでNPを6年実施してこられましたが、参加したママたちからはどのような反響がありましたか?

(吉田)「皆同じだと分かって安心した」「大人と最後まで話せて嬉しかった」「講座が終わってからも心で仲間と繋がっていられる」という声を頂いています。
NPは、大事をドラマティックに解決する訳では無いのです。子育て中の親の悩みは、ひとつひとつが「靴下を履きたがらない」「食事中に食べ物をぐしゃぐしゃにする」「食べない」「食べ過ぎる」「子どもにスマホってどうなんだろう」「旦那さんが育児を手伝ってくれない」という小さい事なのですが、乳幼児期はこれが複数個同時に、間を置かずに次々と来ます。日常的に、ママたちはそれを立ち止まって考える時間さえないので、一つ一つの問題が解消されずモヤモヤした気持ちを抱えがちです。
NPでは、そうした問題を何が起こったの?私はどう思ったの?私はどうして欲しかった?相手の気持ちは?とスモールステップで考える練習をします。練習は沢山しますが、結局はお互いの価値観や家庭環境などを知っている中で、安心して話が出来るコミュニティを作れるのが一番の習得になっている気がします。

▲すでに14期目まで開催。つい先日、14期生終了式を行いました。

目標は今後も福島市でNPを継続していくこと。NPは自分のライフワークへと

―このような活動をしていて、ご家族の反応はどうですか?

(吉田)ママに好きな事をさせてくれ、「行ってらっしゃい」って送り出してくれる事が、家族の協力だと思っています。それと、NPを開催するようになってから、作業する私の横で、娘がNPの資料を見ながら「私はただ生きているだけって思っていたけど、お母さんとかおばあちゃんとか周りの人が、こんなに子どものことを考えてくれていると思わなかった」と言っていたのを聞き、家族も何かしら変わっているのかなと思いました。

―嬉しい発言ですね!娘さんにも、お母さんの活動が伝わっていた証拠ですね。吉田さんの今後の目標はありますか?

(吉田)NPをずっと継続していくことです。乳幼児期のママって一番大変な時期だと思います。ちょっとした事も出来ない。例えば、温かいコーヒーが飲めない、まっすぐに寝られない、ささやかな願いが叶えられないんです。そんな、ママをもっと守ってあげてもいいんじゃないかな?と思うんです。乳幼児期のママがどうだったか時が経つと忘れてしまいがちだけど、この時期にケアが必要で、私は忘れないで「大変だよね」ってフォローし続けなくちゃいけないと思っています。転勤先で出会ったNPが、いつの間にかライフワークになりました。


▲ファシリテーターを務める吉田さん(奥右から2番目)。

転勤族の妻は”みつばち”。各地のいい所をたくさん吸収してほしい。

―転勤族の奥様たちに何かメッセージはありますか?

(吉田)転勤族の奥様は、「みつばち」です。各所で花粉をつけていつか花を咲かせる役割ができると思っています。つまり、よそのいい所をたくさん吸収して、それをいつか何かに役に立たせることができるのです。 地元の方が気付かないその地域の良さにも気付くこともできます。そのような意見を発言する機会があれば、積極的に参加して、ヨソモノ視点を役立て下さい!

まとめ

終始穏やかな笑顔で回答してくださった吉田さん。穏やかさの中に、NPへの強い情熱を感じました。私もhanaso主催のNPを受講したことがあるのですが、何気なく受講していたNPは、吉田さんたちの強い思いと努力の結晶だったのだと今回お話を伺って分かりました。
どこへ行っても、本人の努力と情熱で花は咲かせられるのだなと、吉田さんを見て感じ、とても勇気が湧きました。
そして、NPに興味を持った方は、参加してみてはいかがですか?子育ての悩み、考え方が変わるかも知れません。安心して話が出来るコミュニティを持つ事も、その地にいち早く馴染む一歩かもしれません。

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