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ふくしま転入女性tentenインタビューvol.2山本香苗さん ~夫の転勤についていく。それでも仕事は続けたい。~

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学校を卒業し、大変だった就職活動を終えて就職。働き始めた時は大変だったけど、今は仕事も慣れてきたし、段々自分のやりたいことにも挑戦できている。結婚はしたけど、仕事は続けていきたい。そう思っている女性は多いのではないでしょうか。

そんな時に、旦那さんに転勤を告げられたら・・・。
仕事を辞めて付いていきますか?単身赴任をしてもらい仕事を続けますか?

今回インタビューした山本香苗さんは、東京で9年働き、キャリアを積み上げてきた中、旦那さんの福島への転勤に、仕事を辞めて付いてこられました。
しかし、2018年4月の転入時にはすでに福島での仕事が決まっている、そして2019年3月の福島から転出される時には、すでに次の転出先での仕事が決まっているという状況だったのです。
そんな山本さんにどんなふうに仕事を探したのか、また1年間という期間でどんな仕事をしたのかお聞きしました。

▲山本香苗さん。東京都葛飾区出身。早稲田大学文学部卒業後、2009年に株式会社ベネッセコーポレーションに入社。働きながらNPO法人キッズドアで貧困層の子どもの学習支援ボランティアを行う。その後、キッズドアで正式に採用され2016年7月から1年半働いた後、旦那さんの転勤で2018年4月に福島市に転入。1年間の福島生活を送り、2019年の3月に千葉県へ転出。

教育関係の仕事とボランティアにのめりこんでいた東京時代

―東京ではどんなお仕事をされていたんですか?

(山本)教育に興味があって、ベネッセでDMを作る仕事をしていました。大学でも教員免許を取ってずっと塾講師のアルバイトをしていて、教えることが好きだったんです。しかし、ベネッセは通信教育が事業の柱。教育現場が見えず、想像の中で企画を考える事もありました。なので、教育の現場も見たいと思い、経済的に苦しい家庭の子どもへの学習支援を行うNPO法人キッズドアのボランティアに参加して子どもたちに勉強を教えていました。現場の楽しさを知ってしまって、そのままキッズドアに転職しました。

▲キッズドアでボランティア養成講座の講師をしている山本さん(一番左)

―旦那さんとは転勤があると分かってて結婚したんですか?

(山本)そうです。旦那さんとはキッズドアでお互いにボランティアをして知り合いました。結婚する時には、旦那さんの職種上、転勤はあると分かって結婚しましたが、その時はあまり深く考えていませんでした。なんとかなるかなと思って(笑)でも実際福島に転勤が決まって、さぁどうしようとなりました。

福島転勤が決まってから転職活動のリミットまでは2カ月間。遠方の仕事探しの強い味方はやはりインターネット

―辞令が出てから、4月の転勤ってすぐじゃないですか?よくそんな短期間で福島での仕事を見つけられましたね。

(山本)辞令が出たのが2018年1月末で、そこから仕事探しを始めました。福島市だということは分かっていたので、キッズドアのような学習支援の団体がないか探したんですが、福島市の団体は見つけられなかったんです。仙台にはキッズドアの支部があったので、通おうと思えば通えたのですが、せっかく福島市に来るのに仙台で働くのはなんか違うんじゃないかって思って。それで福島市内での仕事をインターネットで探し始めました。これまでも教育関係に携わってきたので、教育関係のお仕事がいいなと思って、色々調べていたら福島大学があると知って、「福島大学 求人」で検索して福島大学での単年度の仕事を見つけました。車の免許も持っていなかったので、福大だったら電車で通えるからいいなと思いました。

―うまくひっかかってきたんですね。何というサイトに載っていたんですか?

(山本)indeedだったと思います。そこで見つけたんですが、結局ハローワークの紹介状が必要って書いてあったので、東京のハローワークに行って申込をして、履歴書を送りました。ハローワークで他県の求人を探したり応募したりできるなんてその時に初めて知りました。

―そこから面接とかがあったわけですよね?採用されるまでどんなスケジュールだったんですか?

(山本)求人の締切が2月13日でした。1月末に転勤が決まって、2月12日が結婚式だったので、その準備もしながらの仕事探しでドタバタしていたのですが、締切の前の週には応募していたと思います。面接が確か2月26日で、それで初めて福島に来たんです。ありがたいことに翌日に採用決定の結果をもらいました。

―それで4月に入ってすぐ福大での仕事だったんですね。

(山本)それが大変でした。引っ越しが4月4日だったんですが、福大からは4月2日に手続きが、3日は研修があるから必ず来るようにと言われて。旦那さんも4月2日から赴任だったので、二人で4月1日に福島に来て引越しまではホテル暮らしをして、そこからお互い仕事に行くという生活でした。

車の免許のない中での福島生活がスタート。働きながらの自動車学校通いの日々

―さっき、車の免許を持っていなかったっておっしゃられてましたよね。どうやって大学まで通っていたんですか?

(山本)家は駅から離れていたので、バスで福島駅に行って、そこからJRで金谷川駅へ、駅から徒歩で大学に行っていました。電車の本数が少なくて乗り継ぎがうまくいかず、家を6時台にでないと始業時間に間に合わなくて。通勤がかなり大変でしたね。

―だと思います。結局、車の免許は働きながら取ったんですか?

(山本)そうです。面接の時にも、車の免許は必要って言われていて、夏ぐらいまでには取ってくださいって言われていたんです。9月に免許が取れるまで、休みの日はほぼ自動車学校に通って、それも大変でした。でも、免許を取ってからは通勤はかなり楽になりました。やはり福島で生活するには車は大事ですね。

―就職する時の条件になっていなかったら免許は取るつもりなかったんですか?

(山本)いや、でも実際福島市に住んでこんなに公共交通機関で移動するのが大変だと思わなかったので、それがなくても車の免許は取っていたと思います。

―車はこっちに来てから買ったんですか?

(山本)中古車を買いました。旦那さんは免許を持っていたので、それで買い物に連れいってもらったりしていました。免許を取って自分で運転するようになって、車のある生活って本当に便利で素晴らしいんだなって思いました(笑)。なので、福島市から転出するときも、旦那さんとふたりで交代で運転して、千葉に持ってきました。

1年間だけだったけど、福島に来たからこそできた仕事

―福大ではどんなお仕事をしていたんですか?

(山本)福島県から福大が受託している事業を担当しました。相双地区に9人いる復興支援専門員のサポートのお仕事でした。復興支援専門員が現地でこういうことをやりたいっていう企画を出してきてくれるんですが、それを県に伝えて予算を申請したりするつなぎ役のようなお仕事です。1カ月に1回は浜通りの被災地にいって全体会議に出ていました。教育現場とは違う仕事でしたが、福島でしかできない仕事だったので、いい経験になり良かったと思っています。

▲相双地域の情報発信もお仕事の一つでした

転出後の新しい仕事は、福島で偶然見つけて受講した研修から

―福島から東京に戻るということが決まってから、いつ頃から仕事探しを始めたのですか?

(山本)2019年1月末の時点で旦那さんは東京に戻ることが決まっていたんですが、住む場所がどこになるかは2月末まで分からなかったんです。なので、旦那さんの職場近辺だったら通えることは確かなので、そのあたりの仕事だったらできるなと思っていました。
ちょうど2018年の秋ぐらいからパブリックリソース財団(※)のふくしま未来基金NPOマネジメント支援コンサルタント養成講座を受けていたんです。仕事以外で何かしたいな思ってた時にたまたまFacebookで見つけたのがこの研修でした。その研修が12月に終わったんですが、もう来春には東京に戻るような気がしていたのと、パブリックリソース財団のオフィスが旦那さんの職場からも遠くない所だったので、研修終了の懇親会で事務局長の方に「4月に東京に戻るかもしれないんですが、ここでのお仕事の募集はありませんか?」と頼んで面接を組んでもらい、とてもよく話を聞いていただき、ありがたいことに採用してもらえることになりました。
(※)寄付の仕組みづくりやNPO向けの研修やコンサルに取り組んでいる法人

―世渡り上手ですね(笑)でもそれはちゃんと先を見据えてアンテナ張ってるからなんだろうなと思いました。でもパブリックリソース財団も教育に特化した団体ではないし、現場というよりコーディネートのお仕事ですよね。

(山本)そろそろ子育てを見据えて、仕事選びをしたいなと思っていたんです。子育てにも理解があって、働きやすい所に属したいと。パブリックリソース財団さんは、そういう職場環境だということも、面接の中で感じました。これまでは自分のやりたい事を実現するためにずっと走り続けていたんですが、結婚して、やはり夫婦の事や家族の事も考えていきたいと思うようになりました。仕事内容も女性の人材育成に関わる研修の担当ということで今からとっても楽しみです。

最初は馴染めなかった福島。受講した研修で地域の方と関わるキッカケをもらった

―香苗さんが最初にこの転入女性のコミュニティに連絡をくれた時は「なかなか福島に馴染めずに困っている」という内容のメールを送ってくれたのを覚えています。その後、福島での生活という意味ではどうでしたか?福島を楽しむことはできましたか?

(山本)パブリックリソース財団さんの研修を受けて、福島のNPOなどの団体を訪問することになってその団体の方と交流するようになりました。私は郡山のキャリアデザイナーズというニートやひきこもりの若者の支援を行っているNPO法人の担当になって、何度も訪問させてもらっているうちに団体の方たちと仲良くさせてもらって、クリスマス会にも呼んでもらったりしたんです。とても嬉しかったです!

▲研修で訪問した認定NPO法人キャリアデザイナーズの方々と

―休みの日は何をしてたんですか?

(山本)旦那さんは土日休みの仕事じゃなかったので、基本的に休みは合わなかったんです。たまに休みがあうときは共通の知り合いが南相馬にいたので、その方に会いにいったりしていました。私は自動車学校にかなり通い詰めてました(笑)免許を取った後は、月2ぐらいは研修で東京に通っていました。空いているときは東北を旅行していましたね。銀山温泉にも行きました。

―友達はできましたか?

(山本)今回の転勤で、知らない土地で職場以外に知り合いを作ることの難しさを痛感しました。なので、ボランティアでもいいので、自分の興味のある活動に参加して、そこから知り合いや友達を作れると良いのかなと思いました。東京でもボランティアで関わったキッズドアで旦那さん含めいろんな人との出会いがあったので。私はパブリックリソース財団の研修に参加して、結果的に地元の団体さんに知り合いができ、転出後のお仕事まで見つけることができました。

どんなライフステージでも自分の力を活かせる場所を探し続ける

―今後のライフプランはありますか?

(山本)これまでボランティアで子どもに勉強を教えてきたりしたのですが、まずは自分の家庭でそれをできるようになりたいので、ボランティアは一旦お休みしようと思っています。子どもができたら仕事も一旦お休みしてもいいかなと。でも何かしらはやっていたいです。自分の結婚式でお世話になったプランナーさんからも仕事を手伝ってほしいって言われているので、そういうことをやるのもいいなと思っています。

―ウエディングの世界ですか!?

(山本)自分の結婚式で、手作りでバージンロードを作ったり、招待状を作ったりしたんです。そしたらそれをプランナーさんが覚えててくれて、それをお客さんに提案したいから手伝ってって。とっても嬉しかったです。私は、自分の力が活かせる仕事や場所であれば職種は特に問題ないと思っています。

▲結婚式で手作りしたバージンロード

まとめ

「自分の力を活かせる場所を探したい。」
今回のインタビューでこの言葉を何度も山本さんから聞きました。そのモチベーションが、転勤が決まってすぐに仕事探しに取り掛かれるパワーの源になっているのだなと感じました。
常にアンテナを張って、自分の力を活かせる場所に身を置き、チャレンジすることで自ら仕事を引き付けている山本さん。
免許がなくてもバスと電車を使って通勤したり、働きながら自動車学校に通って免許を取ったり、研修を受講したり、同じ転勤族の妻として、山本さんのチャレンジ精神とタフさには脱帽でした。転勤族の仕事の探し方など是非参考にしてもらえると嬉しいです。

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