二本松の小さな里山に全国メディアが続々取材に!話題の「岩代おじさん図鑑」はこうやってできあがった!
福島県中通り北部にある二本松市。その二本松市の中でも山間部に位置する岩代地域で生まれた「岩代おじさん図鑑」を知っていますか?インパクトのある写真とゲーム攻略本のような構成でおじさんを紹介している冊子で、当初発行した2,000部はあっという間になくなり、10,000部に増刷。テレビでも20回以上取り上げられ大きな話題に。
「ユニークな冊子」と紹介される岩代おじさん図鑑ですが、私は「ユニークというだけでは表現しきれない冊子だな、これはどうやって作られたんだろう」と気になっていました。今回、そのもやもやを解明すべく、発案者である岩代地域の地域おこし協力隊の有野さんとディレクションを担当した武藤さんに制作秘話を聞いてきました。
▲有野真由美さん。「岩代おじさん図鑑」の発案者。取材・執筆担当。
岡山県岡山市出身。進学・就職で首都圏へ。出版編集の仕事に20年以上携わる。その後、岡山県にUターンし、通訳案内士として活動。2020年のコロナ禍に岡山から福島県二本松市岩代地域に移住し、地域おこし協力隊に着任。任務は岩代観光協会所属で岩代地域の観光情報発信。
▲武藤琴美さん。「岩代おじさん図鑑」のディレクション兼デザイン担当。
二本松市出身。進学を機に東京へ。デザインを学んでいた学生時代、実家帰省中に東日本大震災を経験。避難所でのボランティア経験から人生観が変わり、埼玉県で小学生と地域の大人を繋ぐ教育系NPOに就職。2014年に二本松市にUターンし、地域おこし協力隊に着任。卒隊後は岩代地域でデザイン業とまちづくりに携わる。
おじさんに焦点を当てた、くすっと笑える観光PR本「岩代おじさん図鑑」
「岩代おじさん図鑑」(以下「おじさん図鑑」)というインパクトあるネーミングの冊子は、2023年二本松市の小さな里山・岩代地域で生まれました。その名の通り、岩代地域に住むおじさん20人を図鑑のようにまとめた冊子です。
百聞は一見に如かず、まずこちらから「おじさん図鑑」をご覧ください。
https://iwashiro-ojisan.studio.site
ゲーム攻略本のようにおじさんをキャラクター化し、それぞれにキャッチーなコピーをつけ、おじさんたちの魅力を前面に出した写真と共に、性格や人となりを面白おかしく愛情あふれる文章で紹介しています。読むとくすっと笑えて心が温まり、思わずおじさんたちに会いたくなる、そんな不思議な力を持つ冊子です。
おじさんをフックに岩代地域の観光スポットも紹介。おじさんに興味を持ってもらい、そこから岩代地域にも興味を持ってもらう、そんな狙いで岩代観光協会が発行した、れっきとした観光PR本なのです。
2023年8月末の発行後にはそのインパクトからすぐに話題となり、全国メディアが何社も岩代地域に取材にくるほどの状況に。増刷に増刷を重ね、現在は10,000部を発行しています。当初予定していなかった岩代地域での配布会や「おじさん図鑑」のファンミーティングも開催するほどの波及効果を起こしているのです。
「おじさん図鑑」はこうやって生まれた!
アイデアは地域おこし協力隊の苦悩の一言から
―「おじさん図鑑」のアイデアはどこから出てきたのですか?
(武藤)有野さんが協力隊に着任して2年経った頃、一緒に私の車で話していた時に「私(有野さん)ができることになったのは、おじさんの見分けをつけれるようになったことぐらい」って言ったのを今でもはっきり覚えています。それが「おじさん図鑑」の始まりです。
(有野)地域おこし協力隊に着任し、インバウンド観光を進めようと思っていたのですが、コロナ禍で思うように進まず悩んでいたんです。なので、区長さんへの市の広報配達や観光協会の会費の集金などをやっていました。その仕事の中で出会える人はおじさんばかりで。しかもみんなシルバーの年代で名字が同じ人も多く、最初は見分けがつかなくて。でも2年間やり続けて見分けがつくようになった、そんな話を武藤さんにしたんです。
そのころに「ざんねんないきもの事典」が流行っていたので、おじさんたちを少し面白おかしく紹介する「おじさん図鑑」っていいんじゃないと2人で爆笑したんです。
(武藤)有野さんが言うおじさんって観光関係の人たちなので、見分けがつくようになったおじさんを図鑑にして、そこを掘り下げれば観光に行きつくんじゃないかとピンと来たんです。なによりそれまで悩んで鬱っぽくなっていた有野さんがいきいきとしてたので、これを進めたい!と、その足で有野さんと図書館に行って、「ざんねんないきもの事典」と「擬人化鉱物図鑑」を借りたのを覚えています。
▲インタビューに答えてくれる有野さん(左)と武藤さん(右)
―何気ない有野さんの一言を武藤さんがキャッチして背中を押してくれたんですね。
(武藤)それまでは有野さんの企画や発案は、なかなか観光協会の会議で賛同されないという悩みも聞いていました。でも、「おじさん図鑑」の企画には、観光協会の人も笑ったと電話で聞いて、このアイデアを磨けば実現できると思いました。ただ、「話としては面白いけど、掲載にOKしてくれる人なんていないんじゃないですか?」という反応だったと聞いていました。じゃあ、協力してくれる人がいればできるんだと、おじさんたちにオファーしてみることにしました。
(有野)まず候補となるおじさんたちを武藤さんとリストアップしました。一人一人にストーリーがある人、商工観光に携わっている人、図鑑を見て訪ねてくる観光客が来ても応対ができる人、という基準で選んだら40人ほどになって。そこから20人の選出に1か月ほどかかりましたが、その全員がオファーを受けてくれました。
(武藤)それでも観光協会からはなかなかGoサインがでなくて。観光協会へは「岩代地域は万人受けする地域ではないけど、どっぷりハマってくれるコアな人も見てきたので、そのコア層をターゲットにしたい」「イメージはTSUTAYAじゃなくてヴィレッジヴァンガードに置いてあるようなもの」と提案しました。最終的に半信半疑だったと思いますが、「やってもいいですよ」と許可が出たんです。
おじさんたちもノリノリだった撮影秘話
―おじさん図鑑はおじさんたちの写真もすごくインパクトがありますよね。あの写真をどうやって撮ったのかすごく気になっていたんです。
(有野)許可が出たのが6月で。季節も良かったのと、おじさんたちの気持ちを乗せたかったのでまず写真撮影から始めることにしました。大真面目の中にも笑いがあるような、「ディスる」ではなく「いじる」、許される範囲の面白い写真を撮りたいなと思っていました。
(武藤)観光地でおじさんをただ撮っても面白くない。おじさんの生き様や得意分野を切り取って、おじさんを好きになってもらえる写真を撮りたかったんです。
そんな写真を撮れるのは古関マナミさん(※)しかいないとお願いしたら二つ返事で引き受けてくれることに。古関さんだったらおじさんをうまく乗せながらいい写真が撮れるはずと思ったんです。
(※)二本松市のお隣・川俣町在住の女性カメラマン。
撮影当日、おじさんたちはみんな気合を入れてきてくれて、ノリノリで協力してくれました。観光協会が心配していたことと真逆の事が起きたんです。おじさんたちもこれまでの取材では観光や福祉の事など硬い話ばかりだったのに、有野さんに丁寧に自分の人生の事を聞いてもらって楽しかったんだと思います。
▲おじさんたちもノリノリだった撮影風景
(有野)おじさんたちには事前に「プライベート要素を入れて撮りますね」と伝えたのですが、小道具を自ら持ってきてくれたり、撮影中に自分からこれと一緒に撮ってほしいと提案があったりしてびっくりしました。
(武藤)愛車の前で撮ってほしいとか、衣装を何パターンも準備してくれたり。一人一時間ぐらいで撮影をしたのですが、小道具をたくさん用意してくれたおじさんは撮影にかなりの時間をかけました(笑)
―特に表紙の写真のインパクトがすごいのですが、あの写真はどうやって撮ったんですか?
(武藤)表紙の写真は偶然の産物なんです。この方はお面づくりが趣味なんですが、話をしていたら海外旅行のお土産でもらった仮面の話になって。その仮面をつけてみて外でも撮ってみましょうかとなり、自分から木の陰に隠れて、あの写真が撮れたんです。ちなみにこの木は特別な木ではなく、このおじさんの家の庭の木です(笑)
最初は別の写真で表紙を作っていたんですが、この写真が撮れてこれに勝るものはないと表紙に決定しました。
▲インパクト大の表紙
思考錯誤の末、ゲーム攻略本風コンセプトに
―写真もおもしろいのですが、冊子のコンセプトがゲーム攻略本風になっているのもおもしろいなと。
(武藤)有野さんからはおじさんたちの生息地、好物、体長など入れ込んで図鑑感を出してほしいとのオーダーでした。一旦、図鑑風にしてみたんですが、なんか教科書みたいになったんです。「おじさん図鑑」っていうネーミングは面白いのに説教臭い感じに・・・これ面白くないな、自分だったら読まないと思って。
柔らかい図鑑って何だろうって考えた時に、子どもの頃に自分が持っていたポケモンの図鑑や攻略本を思い出したんです。それはドットの絵で描かれていて、おじさん図鑑を読んで欲しい層とそういうドットの絵のゲームをプレイしていた層って同じだなとも思いました。
文章も最初はもっと硬くおじさんたちに配慮をしたものでしたが、何回も何回も書き直して、柔らかくてくすっと笑える文章になりました。
―いろんな変遷を経ておじさん図鑑ができ上ったんですね。「おじさん属性」、「妻とおじさん」などサブコーナーはどうやって作ったんですか?
(有野)各紹介ページではおじさんたちの性格の違いがよく判らないと思うので、補足のために「おじさん属性」というレーダーチャートを作りました。
(武藤)取材はしたけど紹介ページに入れられなかった言葉をコーナーとしてまとめたかったんです。また、「おじさんを支えてる女の人もいる」と指摘が入ると思ったので、奥さんのコーナー「妻とおじさん」を作りました。とにかく硬くならないように内容や表現は工夫しました。
くすっと笑える内容の裏にはおじさんとの信頼関係が
―この冊子はおじさんたちとの信頼関係がないとできない内容だと感じていました。その信頼関係はどうやって築かれたんですか?
(有野)協力隊に着任してなにもできなかった2年間、広報配達や集金の中で、おじさんたちとたくさん話をしてきました。地域や観光に対する疑問をおじさんたちに質問してみたり、おじさんたちの困りごとはないか聞いたり。いろんな話をしてきた中で信頼関係ができていました。
(武藤)まさに「おじさん図鑑」できたのは、有野さんがおじさんとの信頼関係を築いてくれてたからなんです。有野さんがいなかったらできなかった。尖ったコピーも、有野さんがおじさんにちゃんと説明をしてくれると思ったから出せたんです。
取材して書いた文章のチェックもおじさんたちにしてもらってたんですが、有野さんは一人一人対面して確認してもらって、話を聞いて、その場で修正箇所を聞いてくるんです。信頼関係はその丁寧さの賜物。私だったら郵送して赤入れしてくださいってしてたと思います(笑)
(有野)「おじさん図鑑」がテレビに取り上げられるときも、毎回、いつどのテレビ局のこういう番組に出るからね、と全員に電話して教えてあげています。おじさんたちをある意味ネタにした手前、一人一人に平等に丁寧に付き合っていかなければならないと思っています。
▲有野さんとおじさんたちの信頼関係は日常の関わり方から
「おじさん図鑑」が生み出したおじさんたちと地域の変化
―「おじさん図鑑」を実際に見たおじさんたちの反応はどうでしたか?
(有野)私は、おじさんたちへのお礼にできあがった冊子と撮らせてもらった写真を額装して渡すと決めていました。冊子をお渡ししたら、みんなすごく喜んでくれました。「おじさん図鑑」ではおじさん一人一人に番号を付けているんですが、みんな自分の番号を覚えてくれてるんですよ。写真も「俺の遺影にする」と言ってくれています(笑)
(武藤)「おじさん図鑑」は、もともと岩代地域に地域外の方に興味を持ってもらうための観光目的の冊子だったので、首都圏や県内の観光施設への配布を想定していました。でも、お盆で家族が帰省するときにおじさんたちの手元にあったほうがいいよね、と先におじさんたちに配布したんです。
(有野)そしたら帰省してきた子どもや孫が「いいじゃん!」「面白いね!」と絶賛してくれたみたいで。褒められることや図鑑が話題になったことで岩代地域も捨てたもんじゃない!とおじさんたちの岩代地域愛も増えて、仕事への意気込みも変わった気がします。
―岩代地域にも変化が生まれてますよね。
(有野)配布を開始してから徐々にSNSで話題に上がるようになりました。岩代地域の人からも「いつになったら配られるんだ」と観光協会に問い合わせがたくさんくるようになって。もともと地元に配るという想定がなかったのですが、急遽、岩代で限定100冊の配布会を開くことになったり、予想外の展開が待っていました。
ファンクラブは、「おじさん図鑑」をフックに岩代と密に繋がるファンを作ろうと思っていたので当初から考えていました。2,000部発行して30人ファンクラブに入ってもらえたら次に繋がると思ってたんですが、現在は200人もの会員が。実際に図鑑を片手に観光している方も見かけますし、お店や生産者を訪ね、顧客になった方もいます。ここまでになるとは予想外でした。
去年は2回、岩代でファンクラブミーティングを開催し、おじさんたちとの交流だけではなく岩代の観光案内をし、農家民宿に泊まってもらいました。今はファンクラブ特典の「つつがなくおじさんになれるお守り」を作っていて、さらにお土産物を作ろうと企画しています。少なくとも「おじさん図鑑」がなければ、この地域になかった動きや小さいけれど消費もが生まれています。
▲ファンミーティングとは別に「おじさんの集い」も開催
(有野)「おじさん図鑑」は企画した自分たちでも、完成して世に出てみないとどんな反応があるか分からないものでした。こんな反響があるとは思ってなかったです。
地域の観光をテーマにした冊子はたくさんありますし、お金をかけて外注しようと思えば立派なものができます。でもこの「おじさん図鑑」は地域おこし協力隊の限られた活動費だけで、異世代の地元のクリエイターがチームを組んで作りました。そのことに私は誇りを持っています。
まとめ
やっぱりこの「おじさん図鑑」は簡単に生まれたものではありませんでした。有野さんのヨソモノ目線からの発想、おじさんへの愛と信頼関係、そして武藤さんのディレクション、古関さんだから撮れた写真が組み合わさることで完成した冊子。だからこそいろんな人に響いて、全国規模のメディアも注目するまでになったのです。tentenの活動にも参考になることがたくさんありました。地域でまちづくりに関わる方は、是非参考にしてくださいね。